マザーテレサの言葉 | 祈り

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まずは、【こちら】のリンク先の記事を見ていただきたいです。

よろしくお願いいたします。

祈り

祈りは、心を広くしてくれます。

神様ご自身を 賜物として

心の中にお入れできるほどに 広くしてくれます。

マザーテレサの言葉『祈り』に対する私の考え

まず、私は何を思ったか

まずは、この言葉(以下、【マザーテレサの言葉】とする)を初めて見た時に、私が思ったことを話させてください。

私は最初、以下のように思いました。

・祈ることで、どうやって心が広くなるのだろう?

・神様ご自身を賜物……? そんな例えをしてしまって本当に大丈夫なのか?

・心の中に神様を入れることができるほどに『広く』なる……? それってつまり、どれくらい広くなるの……?

言葉を、文字としてしか捉えていない。

自分でも、そういう自覚はありました。

それでも、まずは表面上だけでも、理解しなければ始まらない。

そう思った私は、とりあえず国語的に考えてみます。

すると恐らく、【マザーテレサの言葉】はこういう内容の言葉になります。

祈りは、神様をお入れできるほどに、心を広くしてくれる

何となくですが、文法的に意味は分かります。

「祈りをすると、心がめちゃくちゃ広くなる……」

ですが、この言葉を深く読み取ることは、まだ到底できそうにないです。

私はこの文を読んで、思いました。

『祈り』って何? ……と。

ネットで検索すると、次のような言葉がでてきます。

祈りとは、神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うことである

                     ウィキペディアより引用

「……何かの実現を願うと、心が広くなるのか……?」

いまいちピンときません。

どうやら、私が【マザーテレサの言葉】を理解するには、『祈りとは何か』を知る必要があるようです。

そうすれば、『どうすれば心が広くなるのか』それを、理解できる気がします。

祈りとは何か

ここからは、資料を使って調べました。

参考にさせていただいた本は、『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』という本です。

この本には、祈りとは何かについて、詳細が書かれていました。

ですが、その説明が抽象的で、やはり理解が難しいものでした。

これから私は、本に書かれていた内容を抜粋し、『祈り』とは何かを考えてみようと思います。

大切なのは【マザーテレサの言葉】を読み取ること、だけではなく。

【マザーテレサの言葉】を知り、最後は自分なりに解釈して糧にすることです。

なので、未熟者なりに、精いっぱい取り組んでみます。

①清い心で人々を愛し、すべての人、特に貧しい人々を愛することが、祈りになる

上にある茶色のタイトルが、抜粋した言葉です。

さっそく、私の考えを言います。

そもそも、「清い心」とは何でしょうか?

醜さが全くない心? 純粋な心?

私は、清い心とは――『受けとめることができる心』だと思います。

醜さがない人間なんていません。真っ白で純粋すぎる人間なんていません。

でも、自分も含め、そういう人の黒い部分を受け入れることなら、できるのではないでしょうか?

そして、自分の醜さを受け止め、他者の醜さを受け止め、それでも人を愛すことができたなら、それは素晴らしいことです。

受け止め、人を愛すこと。

それが『祈り』につながっていくのでしょうか?

『祈り』とは、何なのか。これ以降も考えていきます。

②祈りは信仰を生み、信仰は愛を生み、愛は貧しい人々のためへの奉仕を生む

『祈り』がなんなのか、私はまだ分かっていません。

なので、まずは、文の後ろの方から考えていきます。

『愛は貧しい人々のためへの奉仕を生む』

これは、何となく理解できます。

慈しみの心が行動となって、貧しい方を助けることになる。

そんなところでしょうか。

では、『信仰は愛を生む』とはどういうことなのでしょう?

『信仰』――神を信じること。

神を信じれば、愛が生まれる?

……いまいち、ピンときません。

その後、ネットで調べると、次のような『信仰』の説明を見つけました。

信仰とは――人や物事を信用、信頼することである

                       ウィキペディアより引用

『信仰』は神だけでなく、人を信用するという意味もあるようです。

それなら、さっきの『信仰は愛を生む』という言葉も分かります。

人を信じるということは、一種の愛でしょうから。

では最後、というより最初の言葉。

『祈りは信仰を生む』とはどういうことか。

ここについては、素直に考えてみることにしました。

祈ること ≒ 願うこと ≒ 誰かを信じること

↑少し強引さもありますが、そこまでおかしくもないかと。

今までに考えた要素をまとめ、意味を考えます。

そして、私なりに次のように解釈しました。

祈ることは、誰かを信じることであり、信じればいずれ慈しむ心が生まれる。
そして、その心が貧しい人を助けることになる。

いかがでしょうか?

③祈るためにまず必要なのは、沈黙。祈る人とは、沈黙の人といってよい

祈り = 沈黙

……と、言っているように聞こえます。

「黙っていることが、祈ることなの?」

「確かに、祈っている時は話すことはなさそうだけど……」

そう思ってしまいます。

しかし、その後で私はこう考えました。

ここでいう『沈黙』とは、己の欲望を吐露しないこと、なのではないかと。

一つ前の項目で、『祈る』ことは『貧しい人を救う』ことにつながる、と考えました。

仮に、己の欲望を吐露している人がいたとして、その人は貧しい人を救えるでしょうか?

つまり、逆に言えば、

『祈る』=『己の欲望を吐露しない』≒『そんな人が貧しい人を救える』

こんな感じなのではないかと、思います。

結局『祈る』とはどんな意味か?

今までの情報をまとめます。

①祈るとは、清い心(受け止める心)で人を愛すこと。

②祈ることは、誰かを信じることであり、信じればいずれ慈しむ心が生まれる。
そして、その心が貧しい人を助けることにつながる。

③祈るとは沈黙すること(欲望を吐露しないこと)である。そうすれば貧しい人を救える。

こうしてみると、『祈る』にも、色々な意味がある気がします。

しかし、よくよく見ると、私はこの3つの意味が、一つに集約される気がしました。

では、結局『祈る』とは何なのか。

あくまで、一つに集約するなら、の話ですが、

『祈る』とは、他者を愛すること。

①も②も③も、

他人のことを第一に考えている。そんな意味な気がします。

最後に、マザーテレサの言葉『祈る』の意味とは?

では、最後にまとめましょう。

最初は、この言葉から始まりました。

祈りは、神様をお入れできるほどに、心を広くしてくれる

ここに、先ほど出した、集約された『祈り』の意味を、含めて考えると――

他者を愛せば、神さまをお入れできるほどに、心は広くなる

これが、私の出した結論です。

この言葉の正しさを証明することはできません。

他者を愛するというのは、言葉ほど簡単なことではないはず。

人間、自分が一番大事。

本当の意味で他者を愛する、とはどういうことなのか。

その時、私の心は本当に広くなっているのか。

…………。

また、疑問が湧いてしまいましたが、

自分が出した結論の証明は、これから生き続けることで出していきたいと思います。

まとめ

長い間、お付き合いくださり、ありがとうございました。

マザーテレサの言葉は、まだ私には重すぎる命題です。

しかし、それでも、取り組んでみたくなってしまったから。

若輩者の域をこえていくために、頑張りたいです。

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