マザーテレサのことを少しでも知るために本を読む | その1

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まずは、こちらを見ていただきたいです。

よろしくお願いいたします。

↓ ↓ ↓

【はじめに】

マザーテレサの本を読んでいる私。その心は

私はある時より、マザーテレサのことを知りたいと考えるようになりました。

理由については、【はじめに】をぜひ見ていただきたいです。

とにかく、私はマザーテレサの記事を書かせていただいている訳ですが。

その記事のなんと未熟なことか。

あとはもう、言い訳のように聞こえてしまうかもしれないので、割愛します。

というわけで、まずは一歩一歩です。

今回、私がマザーテレサについて考えを述べるにあたり、参考にさせていただく本を紹介します。

マザー・テレサ愛に生きる めぐまれない人びとにささげる一生

です。

この本には、マザーテレサの生涯を通しての出会いの一部が、描かれています。

ネットで調べてでてくる文章よりも、より身近に感じることができます。

なので、私もまた、新たな気づきを得ることができます。

次の項目から、色々と述べさせてください。

よろしくお願いいたします。

愛に生きたマザーテレサ。私は何を思うか。

今この時、私は中々に大変な試練に遭遇しています。

それは何か。

本について語る以上、その本の一部を語る必要もでてきます。

……が、私がそれを語っても、ちゃんと皆さんに伝わるかどうか自信がない。

弱気になってどうする、って話ですが、事実困っています。

…………。

まぁ、やるしかないですよね。伝えたいんですから。

頑張ります。よろしくお願いいたします。

なかない赤ん坊

貧しい方々がたくさん住む、スラム街。

マザーテレサはいつものように、スラム街に足を踏み入れます。

そして、あるごみばこの中に、小さな赤ん坊が捨てられているのを見つけました。

マザーはこの時きっと、『助ける』ではなく『愛を与える』ことしか考えていなかった。

というか、本当に『助ける』なんてどうでも良かった……?

『助ける』なんておこがましいとすら感じていた……?

後の文章を読むと、そう感じます。

マザーはその赤ん坊を助けた時から、子供たちの施設を作ることを決めたそうです。

そして、後にやってくる子供たちの中には、すぐに亡くなってしまう子供もいたそうです。

それでも、マザーテレサは、その子を最後の最後まで愛す。

愛している。

『幸せにする』という言葉すら、合っていないのかもしれない。

そんな感想を、私は抱きました。

もっとも悲しいことは

あるお医者さんが、マザーテレサに言った言葉。

「マザー。カルカッタには、こういう人間が何百人もいるんです

死を待つだけの人間が、たくさんいる。

この事実を知って、

マザーテレサは。

「だったら――やすらかに死をむかえることのできる場所をつくります」

そう決意したそうです。

この時の、マザーテレサの心の色は、どんな色だったのかな。

そんなことを私は考えました。

熱意? 使命感? 目的を果たせることに対する幸福感? 緊張や焦り? 期待や喜び?

それとも――全部? 

私には分かりません。

だけど、マザーテレサを知りたい私は、そこに惹かれました。

マザーテレサはこうも言ったそうです。

「わたしたち人間にとって、ほんとうに悲しいことは、貧しかったり、病気だったりするために、だれからもあいてにされないことです」

私は、この言葉を聞いて、

マザーテレサのことを、すごい方なのだな、と思い。

同時に、自分という人間の器が見えてしまった気がしました。

私は、実際にマザーテレサのように、行動できません。

自分のことしか考えていません。

傍観者として、マザーテレサを外側から眺めているだけの人間です。

だから、

できることなら、こうしてマザーテレサの一面と触れ合ううちに、

その価値観を少しだけでよいから変えていきたい。

そう思いました。

ノーベル平和賞の受賞

ノーベル平和賞の授賞式の際、マザーテレサが仰った言葉。

改めて、その言葉をここに。

「わたくしは、みなさんが考えておられるようなノーベル平和賞をおうけできる者ではありません。でも、だれからも見すてられ、愛に飢え、死にそうになっている世界中のもっとも貧しい人びとにかわって、賞をいただくことにしました」

「わたしには、受賞の晩さん会はいりません。どうか、その費用を、貧しい人たちのためにおつかいください……」

仮に、

本当に、仮に、

私のような人間が、この言葉を言ったらどうなるでしょう?

…………。

『どうにもならない』ですかね。相応しい言葉は。

悲観的になりたいわけではありません。

私がここで気になったのは、どうして彼女のこの言葉にはものすごく重みがあるのかな、と言うことでした。

インドのカルカッタに住む、貧しい方のために、三十数年にわたって、愛の手をさし伸べてきた。

やはり、その行動が、重みにつながるのでしょうか?

私は、こうも思います。

あの言葉を、マザーテレサがはっきりと仰ることができるのは、

彼女が何の迷いもなく、本当に本心から話しているからではないか、と。

そして、本心であることを、世界中の方が知っていたからではないか、と。

私は、自分の過去をさかのぼってみても、重みのある言葉を話せた記憶がありません。

私は心が弱く、意思の弱い人間でした。

その結果なのかもしれません。

先ほども申し上げましたが、悲観的になりたいわけではないです。

重みのある言葉を、未来で言いたいわけでもありません。

――ただ、

ここまで、芯の通っている方を見て、感化されない訳がなかった。

上手く言葉にはできません。

だけど、確かに、

私の心は、このとき躍動していました。

ここまで読んでくださった方へ

紹介させていただいている本には、まだまだ、マザーテレサのことが多く書かれています。

ですが、

あえて私は、ここで記事を中断します。

私の、勝手な希望ですが、

読んでくださったあなたには、ここにある文章を、しっかりと噛みしめてよんでいただきたいのです。

生意気な発言をお許しください。

私は、この記事を通して、伝えたいことがあるのです。

ちゃんと伝えられている自信はまるでありません。

でも、伝えたいことがあるのです。

差し支えなければ、また読み返してみてください。

まとめ

先ほども申し上げましたが、紹介させていただいた本には、まだまだ続きがあります。

なので、この『記事の続き』も、私は書きたいです。

いずれ、またそこで、読んでくださった貴方にお会いしたいです。

では、今回はこのあたりで失礼します。

ありがとうございました。

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